第6回 大陸移動説とプレーテクトニクス 

啓林館 地学 p44~61

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 遠隔授業(課題配信)もとうとう,6回目になってしまいました。いい加減に学校で,授業はともかく部活 (とくに運動系)をやりたいですよね。若い人は運動しないといけないとおもいます。 夏休み前には,何とかなるのでしょうか……。
さて,地学で,プレートとかプレートテクトニクス,は今日「常識」となっていますが, この考えが広まったのは,せいぜい50年前からです。戦後が75年ですから,実は私の高校時代には, プレートの考えを受け入れない地学の先生(たち)がいました。大学では地理を専攻したのですが, 同級生同士で時々このことを話題にしました。「見ろよ,〇〇書館の教科書にはまだ「地向斜説」がのってるぜ。」 「ソ連には地震もプレート境界もないからな,」とか。筑波大学というのは,昔, 東京教育大学という名前だったのを知っているでしょうか。そこを出た地学の先生たちが中心になっている地学団体研究会 (地団件)では1980年代後半まで,プレートを受け入れていませんでした。科学の世界に, 政治的な対立が反映する例として紹介しておきます。参考: プレートテクトニクスを拒んだ科学者たち
  プレートテクトニクス理論は,もっとも最近の「科学革命」のひとつといえます。 それまでと,全く異なるパラダイム(地動説のような認識の枠組み)の転換でした。 その発端となったのは,ドイツのアルフレッド・ウェゲナー(写真)による,「大陸移動説」(1912年)です。
   USSGより
気象学者で探検家であったウェゲナーは,現在離れている各大陸が元は1つの大きな大陸(パンゲア) であったと考え,各大陸の地質構造や地質時代の気候帯,生物の分布がうまく説明できるという考えを示しました。 有名なのは,南米とアフリカの海岸線の形が,パズルのようによく合うという話ですね。
 ウェゲナー以前から,現在遠く離れている南アメリカ・アフリカ・インド・オーストラリアの古生代の動植物の化石が, 互いによく似ていることが知られていました。これは, 当時はその時代にそれらの大陸の間に生物が移動できるような陸地があったという陸橋説で説明されていましたが, 今から思うと,陸橋の方が不自然です。ウェゲナーは,アイソスタシーの考えを用いて,密度がマントルより小さく浮いている陸地が, 大規模に沈んで海洋になることはないと,陸橋説を批判し,地殻の下の物質が液体のように流動しやすい性質をもつことを示し, 大陸の大規模な移動も可能であると主張したのです。
図はUSSGより
しかし,大陸が動くなどという非常識(パラダイムシフト)をほとんどの学者が認めませんでした。 動いているという事実は観測され(現在は可能)ませんし,特に大陸を動かすための原動力について十分な説明ができなかったため, ウェゲナーの死後(グリーンランド探検中に遭難)大陸移動説はほとんどかえりみられなくなってしまいます。  第2次世界大戦後,技術の進歩(潜水艦や大陸間の海底ケーブル敷設)によって海洋について調査が深まります。 まず大西洋の中央や南太平洋の海底に海嶺といわれる山脈のような高まり(真ん中に裂け目がある)が見つかりました。 また,日本海溝のような深い溝(海溝)があり, 地震起きる場所が海嶺と海溝に集中していることもわかります。1950年代に,戦争中に海軍船の艦長でソナー(音響探査) のデータを扱っていたハリー・ヘス(写真)が「海洋底拡大説」を提唱します。
USSGより   岩波講座「地球科学」より
海洋底が玄武岩からできていて,地殻熱流量が大きい(地殻が薄い),また海底に堆積物がほとんど無いことなどから, 海洋底は,海嶺で地下のマグマが上昇して海洋地殻が新しく生まれて両側に広がっていき,海溝で地球内部に沈み込んでいる, という今のプレート理論に近いものでした。 そして,その決定的な証拠が今回の「地磁気異常の縞模様」です。海嶺でわき上がってきたマグマが冷えて固まるときに, そのときの地磁気の方向に磁化し(残留磁気)数十万年ごとに地磁気の逆転がおこり, 時間とともに広がっていくので,きれいな対称の縞模様になっているという,バインー・マシューズ理論です。
動画→高橋雅紀さんの地磁気異常の縞模様の説明(前回も紹介しました。)
実習のヒント=縞模様(白黒)を地磁気年代の表に当てはめて,130kmの端がどの年代かを決める。 ホットスポットと火山 →NHKビデオクリップ(2分)

 プレートテクトニクスと海洋底拡大説がどのように違うかというと,地球表層を覆うのがプレートという固い板(剛体)であることで, その事実をしめすものにトランスフォーム断層があります。
大西洋のロマンシェ断裂帯(Wikipediaより)
これは,地球表面が広がって,どこかで沈み込んでいる,というだけでなく固いリソスフェア(プレート)の運動(球の表面の回転運動)であることを示しています。 たとえば,海嶺の軸と広がっていく伸張の方向は直交していると考えられますが,もともと大陸が分裂するときに一直線に割れるわけはないので (そんな海岸線の大陸はない)海嶺と海嶺の間がトランスフォーム断層でつながっていることで矛盾なく説明されるのですね。 それからプレートが動くのはマントル対流によってプレートが引きずられるため, と思っている人も多いのですが,柔らかいアセノスフェアが動いてしまえば抵抗がないのですから,これは違います。 プレート運動は,生まれた海洋プレートが冷えるほど厚くなって重くなり,海溝で落ち込む(冷たいほうが重い) 引きずり込みによる力(ずれたテーブルクロスが落ちるような)だと考えられています。

           3つのプレート境界

横ずれ断層とトランスフォーム断層 杉村新(1989:「プレートテクトニクス」岩波書店
(a)は右横ずれでB-B'の距離は広がっていくが,(b)はトランスフォーム断層で,b-b'の間は左横ずれで距離は変わらない


プレートは球面の回転運動で,その中心をオイラー極と呼ぶ,極に近いところと遠いところでは運動の速さも異なる

プレートの絶対運動(岩波講座「地球科学」)太平洋プレートと大西洋の海嶺の拡大速度の違いに注目
 このようにして,火山活動や地震,山脈の形成など,地表の地学現象を統一的に説明することができるのが, プレートテクトニクス(テクトニクスは,造山運動論とか構造地質学の意味)です。 ただし,火山活動や地震のメカニズムと言った,今まさに動いているプレートにともなって起こっている現象の研究にはプレートの概念が 不可欠なのですが,数千万年とかかかって生じた日本列島の地質構造といった大地の歴史の理解には,プレートによる時間軸が確立するまでは 「だから何?」という感覚が支配していたのだろうと思います。普段から地道に地域の地質構造や化石による年代同定などから 日本列島の成り立ちを研究してきた旧来の地質学者にとって,プレートテクトニクスが机上の空論のように見えたのも, うなずけるような気がします。

地向斜による山脈の形成(造山論)啓林館「地学Ⅰ」より
 その旧来の山脈のでき方を説明する「地向斜説」(上図)では,海底にたまる厚い堆積層がつくられることが前提ですが, 堆積物の供給源として大陸から運ばれた証拠と言われた「オーソコーツァイト」(石英片岩)の発見から 「黒潮古陸」(かつて紀伊半島から四国沖の太平洋上に大陸が存在した)という説までありました。

和歌山県那智勝浦宇久井浜で拾ったオーソコーツァイトとそれ(白い半透明)を含む礫岩
かつての中国大陸で4億年以上前に形成されたと考えられるものが付加体になってここにある
90年代になって,海溝で沈み込むプレートによって,付加体という地質構造が形成されることが 広まって西南日本の「中央構造線」に沿った帯状の地質構造の解釈が定まったのは最近のことです。 東京の五日市(あきる野市)にもみられる黒瀬川構造帯(まだ日本が大陸の縁にあったころ, 海溝に海嶺が沈み込んだために生じたとされる)の謎にせまる話など,もし興味があれば→ 高橋雅紀さんの講演動画 など見てみてはどうでしょうか。
 ずいぶん長くなってしまいましたが,これでもプレートについて簡略化して書きました。 ハワイなどのホットスポットの話は教科書や実習で,日本付近のプレート境界については次の図で 確認してください。
        
            日本付近のプレートとその境界
このページのUSSGによる図,写真は,https://pubs.usgs.gov/gip/dynamic/dynamic.html から

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