第5回 アイソスタシー 

啓林館 地学 第1章p24~31 第2章p45  box 第1章p17~19と27 第2章p45

目次ページにもどる

今回は,また地球の形の話にもどるのですが,地球の正確な形として「地球楕円体」というものをやりました。 この楕円の偏平率はおよそ300分の1。極と赤道方向で長さが300分の1しか違わない,ということです。 平均半径はパスワードの6371kmですからその300分の1はおよそ6000÷300でわずか,20kmです。地球で最も高い場所は, エベレストで8848m=8.8km,海底も深いところでマリアナ海溝とかで10900m=10.9km, その差はちょうど20kmくらいではありませんか。地球の正確な形,といいますが, だったらこの地球の凸凹も考慮しなくて良いのでしょうか。もちろん,山の出っ張りを全部そのまま地球の形といったら, 複雑すぎますし,山の出っ張りは標高という形でも表現できます。つまり, 標高0mはどうやって決まるのかという問題でもあります。ということは地球の海面が問題になります。 海面の高さは,月の引力などで変化しますが,せいぜい数m。温暖化による海面変化も数10年ではほとんど変わりない (1m以内)と言えます。通常,平均海面というもので標高(0m)が決められています。 そして,海面の形はなんで決まっているかというと,重力です。水のような流体は, 重力の方向に垂直な面(水平)で安定します。宇宙から,地球を見たって大部分が海水ですよね。 というわけで,この海水の作る形(重力で決まる)をもう一つの地球の形として「ジオイド」という名で呼ぶのです (杵島先生の講義動画にすでに見ていたので知ってらー,という人はどうも)。陸上のジオイドは, 平均海面を陸上にも延長したもので,これは地球楕円体とは一致せず図のようになり, 標高というのはジオイドからの高さで表わされます。
国土地理院のホームページより
現在も地図をつくるときにこれらの正確な値が問題になりますが,ことは19世紀, イギリスの植民地であるインドで(インド亜大陸南端の東経77°42′の子午線が選ばれ)測量が行われました。 このときのインド測量局長官がエベレスト卿(サー・ジョージ・エベレスト)でした。この測量で誰もが予想したことは, インドの北側にエベレスト山を頂く世界の屋根,ヒマラヤの存在によって重力の方向(鉛直線)が影響されるだろう, というものでした。鉛直線の方向が地球の中心方向よりヒマラヤの方にずれて(鉛直線偏差)が観測されると考えたのです。
ところが,予想は裏切られ,まるでヒマラヤが空洞であるかのように鉛直線の方向は天頂(天体観測による地球中心からの方向) 向いていたのでした。このようすは次のジオイドの図で,アジア大陸のまさにヒマラヤのあたりがむしろ落ちくぼんでいるのが明らかでしょう。
ジオイド:水平方向に対して鉛直方向を1万倍に誇張(国土地理院のホームページより)
この大きな謎に対して,当時グリニッジ天文台長だったエアリーが,「ヒマラヤ山脈は,地下に深い根を下ろしているのではないか」 というアイデアを考えついたと言われています。ちょうど,海に浮んでいる氷山の大部分が水面下に根をおろしているように, 密度がまわりより小さい部分が地下に深く根をはっていれば,まわりの重力に影響しないと考えたのです。 すなわち,氷が水に浮くように,地殻もマントルに浮いているということになります。 これは,地殻やマントルが硬い岩石でできていても,長い時間の間には流体のような振る舞いをすることを前提としていますが, 前回の走時曲線で明らかになったように,密度の大きいマントルが下にあって,軽い地殻がその上に,さらに大陸地殻が厚く, モホ面がマントルにむかって下がっているようすそのものです。ものが水に浮くのは「浮力の原理」ですが, 地球表層の地殻も同じ原理で均衡がたもたれていることを「アイソスタシー」と呼んでいます。 これについては,次の動画で確認してください。

 ところで,地質学的な時間として,今から1万年前というのはどんな時代でしょうか。1万年前以降現在を, 地質年代では「完新世」と呼びます。1万年より前~12.5万年前までを「後期更新世」といいます。 その前が「チバニアン」なのですが,地球上に目立った生物(魚とか)が現れ始めるのが5億年前なので, 地球の歴史では1万年はほんの一瞬です。そんな1万年でも,陸地が数100mも隆起したりするのですね (年間1cmの上昇は,地震など地殻変動の10倍くらい)。 マントルは紛れもなく硬い岩石ですが,長い時間でみれば粘性を持った流体のようにふるまうということは, これからプレートの理解にもつながることです。計算によれば,直径20kmくらいの鉄球を地表に置いておくと, 数百年後には地球の奥深くまでめり込んでいくそうです(参考:島村英紀氏のエッセイ
さて,私たち人類は約20万年前にアフリカに現われ,生物学的に今の我々と同じ形質 (抽象的思考や言語をあやつれる)になったのが7万年くらい前と言われています。その人類の4大文明が始まるのが, 大体5000年前。それまで,人類は何をしていたのでしょうか。 実は,今から1万年前になって,ようやく地球が現在のような温暖で穏やかな気候に変わったのです。 農耕や定住することが可能になり,それから数千年かけて都市などが造られるようになったと考えられます。 それまで地球の平均気温は今より10℃も低い「氷期」でした。それ以前も200万年くらいの間は,氷期がたびたび訪れ, その過酷な環境が人類への進化を促したとも考えられています。 氷河はもとは海の水が雪になって降り積もったのが凍ったものですから,2万年前の最寒冷期には世界の海面が今より140mも低下していました。 そのため,今は海である多くの場所が干上がって,陸地になっていました。日本は大陸と地続きでしたし,ドーバー海峡もありませんでした(図)。

ヨーロッパの北海の海底には氷期にライン川やテムズ川の流れたあとがある。(杉村新(1973):「大地の動きをさぐる」岩波書店より)
ヒトや動物も大陸から日本などへ渡ってきました。しかし,その後急速な温暖化(後氷期)がはじまると,氷河が融けて海面が上昇し, 日本は大陸からきりはなされ島国になります。それまでの土器とは異なる,日本固有の縄文土器がつくられたのは,そのような鎖国時代になったからと言われています。 縄文時代前期後半(約7000年前)には,日本付近の海面が今より数m高くまで上昇し,埼玉県の浦和や大宮あたりまで海になっていたということを聞いたことがあるかもしれません。 この後氷期の海面上昇を縄文海進とか有楽町海進といいます。日本の場合,その時代がいまより温暖で縄文遺跡や貝塚が内陸に多くあることも, その海面上昇(融氷=温暖化)に結びつけられているようです。しかし,この時代に世界中で海面の上昇が起こった(海水の量が増えた)のかというと, すこし違います。それまで氷河のあった場所では,海面が上昇してくると同時にアイソスタシーで陸地も隆起しました(※1)から, 今より海面が高くなることはありません。これはハイドロアイソスタシーといって,氷河が融けて氷河のあった陸地は上昇しますが, 海水が増えるために大洋の底は逆に沈んで低くなり,一時的に海面上昇がピークを迎えますが, おくれて海洋底の下のマントルが大陸側に流れ込んでわずかに日本のような海洋と大陸の境目に位置する場所だけ陸地が上昇したのだと考えられています。 ややこしいですね。ですが海の水(水=ハイドロ)もアイソスタシーを起こすということをお知らせしたかったのです。
(※1をGlacial-isostasy=氷河性アイソスタシーといい,単なる海面変化をeustaticといいます。) 参考:第四紀学会Q&A)
氷期の氷河の上に人類は住めませんでしたから,その周辺の地下では逆にマントルが氷河の下に入り込んで,沈降していて, 縄文時代以降の遺跡が海面下にあることも珍しくありません(下の図▲印のところ;氷河が融けて地殻が上昇→氷河の周りはマントルが氷河の下に移るので沈降する)。 マニアックですが図も載せておきます。 ここまで読んでくれたひと,お疲れ様でした。
成瀬洋(1982):「第四紀」岩波書店より

次回は,いよいよプレートの話になっていきます。その予習になりますが,地質調査所(産総研)の高橋雅紀さんが国際地学オリンピックの代表者むけに行ったレクチャーが, 公開されていますので,リンクを貼り付けておきます。必ず見ておいてください。
パンゲア大陸の分裂とインド亜大陸の衝突 ここに掲載する許可を高橋さんから頂いています。

目次ページにもどる